野球の練習は修行ではない
野球の練習風景を見て、他のスポーツの方から「軍隊のようだ」とよく言われることがあります。
甲子園での開会式の行進も近年は徐々に緩くなっているものの、手を肩の高さまで上げ、膝は腰の位置まで上げ、さらにはピタッと揃えるように行進します。
この行進も私が甲子園出場した時には毎日練習していました。笑
何かをきちっとやるというような姿勢はとても見ていて清々しいとは思いますが、その姿勢が弊害をもたらしていることもあります。
簡単に言ってしまえばその姿勢が、「言ったことを守ることができない後輩」、「常識からはみ出た後輩」には何らかの制裁が加えられてしまいます。
「出る杭は打たれる」といったヒガミというよりは、野球界の全体が「縦社会」という一定のルールの中で行われています。
「練習中」だけでなく、挨拶の声の大きさ、返事の声の大きさは、一般的には考えられないような数や大きさを求められます。
また、野球の練習時間は非常に長いことでも有名です。
10時間以上おこなっていることもザラにあります。
通常の人間の限界を軽く超えています。
一般的限界を超えた状態でずっと行う練習は、一種の修行と捉えられても不思議ではありません。
練習の本来の目的とは
しかし、ここで一つ考えて頂きたいことがあります。
それは、
本来の練習の目的はなんでしょう
ということです。
決して過去を否定しているわけではなく、今まで脈々と受け継がれてきた練習方法も必要であった時代もあったのでしょう。
しかし、時代は移り変わっています。
様々なスポーツの選択肢の中から「野球」という「スポーツ」を選んでいるわけです。
そんな中での「野球の練習」の目的とは、
「上達すること」、「試合に出ること」、「社会人やプロなどの職業野球を目指すこと」
ではないのでしょうか?
逆に言えば、それ以外のことはとくに行う必要がないということです。
ただ単に長く練習をすれば、うまくなるのでしょうか。
決してそうではないはずです。
そもそも人の集中力は20分が限界だと言われます。
仮に10時間での成果と同じ成果を2時間で出せるのであれば、2時間の方が「身体的」にも「精神的」にも良いでしょう。
むしろ故障・怪我のリスクを下げるのでトータルで言えば、2時間の方が圧倒的に良いでしょう。
そして、同じ成果以上のモノを出す2時間そこそこで終わる練習方法があります。
野球の練習はうまくなるために行うのであり、「修行」や「拷問」を行っているのではありません。
練習の長さや過酷さによって選手は練習をこなすことに集中し、上達することに集中することができなくなってきています。
もう一度、野球練習は、細かい部分まで見直す必要があると思います。
過去の野球を経験した人間からすれば、悲しく感じてしまう所もあるとは思いますが、時代は移り変わっています。
様々な問題で揺れているこの野球界は、今まさに大きく改変される時代に突入してきています。