野球選手に必要なのは勝つことなのか成長することなのか

野球選手に必要なのは勝つことなのか成長することなのか

現役の野球選手であれば様々な夢や目標があるはずです。

県大会で優勝すること、甲子園に出場すること、有力なチームからスカウトされること・・・など様々です。

そして大半の野球選手は、最終的にプロ野球選手になることを夢見ているのではないでしょうか。

そのためには、目の前の試合やライバルとの競争に勝ち、相手を蹴落としてでも上へと上がろうという意識が芽生え、多少の無理はしてでも目標達成のために努力をします。

その結果、チームの指導者はチームが勝利することを至上命題とし、選手たちに勝利した先の明るい未来を連想させようとします。

最近では緩和されてきたといっても、野球界はまだまだ縦社会の年功序列的な意識が強いため、先輩や指導者が言ったことはスポンジのように選手たちは吸収していきます。

その吸収の際には、考えることは許されず、ある意味では洗脳されていると言っても過言ではない状況です。

洗脳はどこでも行われていることなので、洗脳自体が良いことなのか悪いことなのかはさておき、野球界のような世界が生み出している弊害があることを忘れてはいけません。

その弊害とは

勝つことだけに焦点を当てたロボットのようになってしまうこと

です。

選手として活躍し、メディアにも取り上げられ、目標や夢の達成を果たした選手は当然いい思いをするでしょう。

自分でも満足のいく結果が得られたわけなので、さらに上を目指す意欲が湧いてきます。

ところが、いつまでも下積みのままで試合にも出ることもなく、大好きな野球人生を終えてしまった選手はどうなるのでしょうか。

簡単に「実力がなかった」「才能がなかった」と諦めがつくでしょうか。

未成年の選手たちが受け入れることができるでしょうか。

スポーツの世界には勝ち負けが存在していて当然です。

「勝つことがいいこと」、「勝つことが全て」と幼少期から、勝負の世界で育つことで、勝ち負けにこだわる性格が作られていきます。

スポーツの世界ではかつことが全てかもしれませんが、一般社会では勝ち負けの論理だけでは動いていません。

大きな流れは技術力があったり、より優良な方へと動いていくかもしれません。

しかし、場面場面では実力があっても思い通りに動かないようなことはいくらでも存在しています。

それを不条理なこと・・・と考えるか、起こりうることとして受け入れられるかは大きな違いです。

野球をやっていく上で、人生を生きていく上で最も大切なことは「人間として成長すること」です。

野球は人間が生きていくうえで無数にある選択肢の一つでしかありません。

 

そして「勝つこと」と「成長すること」が相反しない方法も存在しているはずです。

その方法は、今までの野球界の常識から答えが出ることはなく、野球人口の減少や野球人気の低迷が止まる所を知らない現状を考えれば、根本的な所から何かを変えなければならない時期に差し掛かっていることは間違いないでしょう。

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