野球選手は練習をやらされすぎている

やらされる練習に意味はない

一つ目の「やらされすぎている」とは、単純に人からの指示のもと練習をし、自発的な要素が一切存在しないことです。

人から与えられた練習をこなし、具体的な目的も分からず日々を過ごし、あまりの量に可能な限りさぼるようになり、結果やらされる環境になれてしまうため、いざ自分で考えてやろうと思ってもできないという負のループに陥っています。

野球選手は自分で考えて上手くならなければならないのに、自分で考える環境がなかったがために、自分で考える能力が欠落してしまいます。

それにも関わらず結果が出なければ「才能がなかった」、「サボっていたからだ」と言われてしまうのは悲惨です。

それならいっそのこと「サボっていた」方がましだったと思ってしまいます。

というより実は

野球選手は練習をさぼった方が上手くなる

という現実さえあります。

これが二つ目の「やらされすぎている」です。

野球選手は慢性的に疲労が蓄積しているため、回復していると思っても、実は疲労困憊であることが往々にしてあります。

自分の身体が疲れているのかさえ分からないほど、練習をやりすぎて疲れきっています。

そのため、自分でさえ気づいていない本来の力を発揮できる状態ではなくなっています。

常に何割かの力を抑えている状態でプレーをしていることに気づきません。

そのため、

練習をするぐらいなら休んだ方が上手くなる選手が続出している

というのが日本の野球界の現状です。

やらされるだけの練習に意味はありません。

ましてや野球選手なら、野球が上手くならない練習をやってはいけません。

たくさん練習をしたら、その分だけ上手くなるわけでもありません。

意味のある練習だけを効率的にやった上で余った時間は休んだり、ほかの勉強の時間に充てることがベストです。

少なくとも、そんな効率的な練習ができるように目指さなければなりません。

プロの世界は、1時間の練習で出した結果と10時間の練習で出した結果が同じであれば、1時間の練習で結果を出している人が賞賛される世界です。

野球界からいち早く、

たくさんの練習をやる選手が優秀な選手であるという考え方

を排除しなければ、野球界の衰退は止まらないでしょう。

今一度、自分の練習内容を精査しなおすことをおススメ致します。

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