野球界の悪しき習慣は延々と続く
野球の指導者はほとんどが、野球経験者です。
別競技の方が野球の指導者をすることはほとんどありません。
現代の子ども達に野球を教えている人の大半は、学生時代に授業中の大半を居眠りし、野球だけで生きてきた人が大半でしょう。
さらにその指導者も子どもだった頃、同じタイプの指導者に教えられていたのでしょう。
脈々と同じ環境が繰り返され、このままで変わるタイミングが訪れません。
野球界の練習内容を知りたければ、今やこれだけ情報が溢れかえっている世の中で、必要な情報だけを抽出することは別競技の人間であっても容易な時代です。
そこに、その他の競技の視点からみた必要・不必要を判断していけば、今よりはかなり効率的な練習ができるのではないかと考えています。
またはスポーツにとくに関わってこたなかった人間でリーダーシップのある人を据えるのも興味深いことが起きそうです。
勉強もせず、本もたいして読んでいない人間の弊害は、人へ伝える能力が低くなってしまっている傾向が強くでます。
伝えるための「言葉」が選べず、そもそも表現する方法も知らないことが多いでしょう。
「伝え方」とは大半の人が思っている以上に難しいものです。
今までの野球界は伝わっていようがいまいが、縦社会の権力を使って従わせてきたかもしれませんが、それで野球界の発展はありえません。
さらにもっと冷静な目をもって人生を見渡せば、野球人生はいくら長くできた人でも引退後の人生の方が長くなります。
つまりは野球以外の、一般社会の中で生きていく時間の方が長くなることを考えれば、勉強をしていた人間としていなかった人間の差は歴然となります。
最終的に大切になってくる勉強は与えられるものではなく、自らの意思で問題を提起し、それを解決するための情報収集と行動、その上での検証作業を行うことです。
とはいえ、初めからそんな勉強をするのは難しいことなので、下準備として学校の勉強をしていくことは入り口として最もハードルが低く、取り組みやすいことではないでしょうか。
だらだらバットを振ったり、何のためになるか分からないジョギングのようなランニングをしているぐらいなら、勉強をした方が比べ物にならないメリットが得られるでしょう。