野球の練習には下手になる練習があることを忘れてはいけない
野球は数あるスポーツの中でも特殊な一面をもっています。
世界的な競技であるにも関わらず「野球」と「ベースボール」と呼ばれるからには、そこに大きな目的としての意味合いが違ってきているからかもしれません。
他の競技で呼び方が変わるスポーツで、同程度の競技人口を有するスポーツは存在しません。
私のイメージでは、ベースボールはロジカルな思考が優先され、野球は精神面が優先される傾向が強いように感じます。
それは甲子園を運営する高野連が準じている「日本学生野球憲章」の第1第2条が「野球」の原理を語っているのかもしれません(『日本学生野球憲章』)。
簡潔に言えば、野球の中には教育としての要素が含まれると規定されています。
これはつまり、
野球(ベースボール)選手として上達することが優先されるわけではない
ということを明言していることに他なりません。
この憲章自体の優劣をここで語るつもりはありませんが、takebat.comではあくまで純粋に野球選手として上達する道を進めています。
教育的な要素を含んでいるため、日本に野球の中には以下の精神が含まれてしまっています。
・練習をした分うまくなる
・時間をかけた分うまくなる
・努力をすればうまくなる
・日本一の練習量を行えば日本一になる
これらは全てが間違いではないものの、同時に危険が潜んでいることを理解したほうがいいでしょう。
これらの考え方には、ある言葉を付け足さなければなりません。
それは
「正しい方法で」
という言葉です。
全て正しい方法で行わなければ、これらの理屈は通りません。
しかし、そこに教育の要素を含んでしまうことで「人間としては価値がある」という考え方にすり替えられ、ただただ黙々と練習をし続ける野球人が後を絶ちません。
これだけは明言しますが、
野球の練習の中にはやればやるほど下手になる練習も存在している
ということを忘れてはいけません。
そして「正しい方法」の「正しい」とは誰にも分からないことです。