野球選手は指導者の不安を解消するための道具ではない
教育的要素が多分に含まれているため、日本の野球現場において指導者の立場は絶対的なものです。
選手の起用権をちぎっているという意味合いでは間違いありませんが、日本の野球現場では度を過ぎた関係性が成り立っています。
試合で負けた翌日やミスをしてしまった後にどのようなことが起きるでしょうか。
恐らく練習時間は長くなり、守備でミスをしたならノックの量が増え、打てなかったなら打ち込む時間が増え、投手が問題なら投げ込みや走り込みの時間が増えます。
簡単に言えば、練習がより過酷なものへと変貌します。
何かを補うために時間や量を増やすというのは一つの解決策かもしれませんが、こんなに短絡的な考え方はありません。
本来の野球という競技における指導者の立場は、
どのような練習が効率的で、選手の身体に対して負担が少なく、チームの勝利という結果の確率を高められるか
です。
失敗の原因を追究し、改善策を打ち出し、さらに検証を進める方法を指示しなければなりません。
それにも関わらず、ただ練習時間や量を増やすのは選手への責任転嫁でしかありません。
そしてそれらは
指導者の不安を解消させるために選手を道具にしているのと同義
です。
これだけ練習したんだから大丈夫・・・と思いたいだけです。
指導者は本来、選手の練習を止めるぐらいの力量が必要です。
選手を不安解消の道具なんかに使ってはいけません。
とはいえ、野球界の指導者の多くは、職業野球人ではないことが大半でボランティアとして携わっている人もたくさんいらっしゃいます。
そのため、皆が野球のことを考え、野球に対して愛があり、選手たちのことを大切に思っていることは理解しています。
しかし、
野球が上達することと人間形成は別物
です。
人間は環境さえあれば自然に自分で学び成長していきます。
純粋に選手としての成長を促し、より高いレベルでプレーができる環境へ導いてやることが、これからの指導者に求められることではないでしょうか。