試合に出るために最も必要なことは技術ではありません
技術の向上についての方法論はたくさんあると思います。
しかし、どんな方法論を試すよりも大切なことがあります。
それは
試合に出ること
です。
大げさではなく
1試合に出ることは1年間練習することよりも価値がある
というくらい大切です。
しかし、試合にでるためには、技術が必要だから、試合に出るよりもまずは「技術」を身に着けなくてはならないと考える人が多いと思います。
しかし、試合に出るためには「技術」が必要なわけではありません。
試合に出るためにも方法論というのが存在しています。
そして、大半の選手は「方法論」と聞くと、何か付け足すような感覚になると思いますが、それもまた違います。
つまり
試合に出るためにやってはいけないことがある
ということです。
では、打者としてやってはならないこととはなんでしょうか?
「見逃し三振!」
と思ったと思いますがすこし違います。
ピントがずれています。
では、何なのか。
それは、
三振しそうだなと雰囲気を漂わせながらの「見逃し三振」
をすることです。
何が違うのか分かりますか?
結果は同じです。
大問題なのは、
監督やスタッフ、その他のチームメイトからの信用を最大限に失うこと
です。
次のチャンスがなくなります。
つまり試合にでるために最も大切なこととは、
周りの人間の信用
が必要になってくることです。
そうなんです、ポイントはこの「信用」というやつです。
仮に三振しようとも「次はやってくれるだろう」と思われれば出場し続けます。
三振しないことが良い打者の条件ではありません。
この「次はやってくれるだろう」という信用こそが出場するための条件です。
その信用を勝ち取るために技術が必要であれば身に着ける必要があります。
ただし、その信用を得る形が何なのか分かっていなければ、身に着けるべき技術が何なのかも分かるはずがありません。
三振しそうな雰囲気とは
ところで、「三振しそうな雰囲気」とは、一体何なのでしょうか。
具体的に言えば、
・「変化球」を見逃した後に「変化球」を空振り
・「ストレート」を見逃した後に「ストレート」に全くタイミング合わないようなスイングをする
・投手に何の苦労もさせずに追い込まれる
といったケースにその雰囲気が漂います。
さらに上記ケースに陥った打者が、普段出場機会が少ない選手、下位打線の選手であれば尚更その雰囲気は増します。
そんな状況下で、見逃し三振してしまうと、即交代で次に試合に出られるのは半年後というような事になってしまいます。
見逃し三振はほとんど内容はありませんが、見逃し三振にも内容のあるものであれば周囲は納得することもあるでしょう。
しかし、輪をかけて、チームメイト、監督コーチが、なんとなく三振しそうだなと、感じているときの「見逃し三振」は致命的です。
つまりは、何の爪痕も残さないような出場をしてはいけません。
全然野球と関係ないところの闘いじゃないか・・・と思った方もいらっしゃると思いますが、結局は人間の決めることなので、出場できるかできないかの条件は曖昧なものです。
試合に出るためには、周囲を黙らせるだけの実力をつけるか、出るための作戦を考えるかの二つに一つです。
ただし、試合に出なければ選手として意味がないということだけはご理解ください。
意味のない三振をしないために
では、意味のない見逃し三振をしないためには何が必要でしょうか。
そのためには、投手の決め球やカウントを取りに来るボールをあらかじめ頭に入れておき、そのボールを狙えるような打者を目指すことが一つです。
または、なかなか三振しないで投手に球数を投げさせるような粘り強い打者を目指すなどの工夫をし、結果を出すことなどです。
つまりは、試合にでるまでにやるべきことがあります。
さらに言えばチーム事情などでも、出場できる要因は変わってきます。
「試合に常に出る選手」と「なかなか出られない選手」とでは、全く立場が違います。
自分なりの方法でレギュラーを目指し、勝ち取っていく必要があります。