ADLIFE INTERVIEW FILE03:「治せない」と言われたものを治すのが治療家
本日は、人気企画の「ADLIFE INTERVIEW FILE」です。今回はかなりの業界の大物にインタビューすることに成功しました!
松井秀喜選手や、今や監督になった金本選手といったプロ野球の第一線で活躍されている方々のトレーナーとして活躍されている、小波津 祐一(こはつゆういち)先生に色々とお話頂きました。
現在も数々のプロ野球選手の専属トレーナーをされているため予約も中々取れない超人気の先生です。
小波津先生は、ただただ人気の先生というわけではなく、「治ることはない」と数々の病院や整骨院で診断をうけてきたスポーツ患者を、現役復帰させ続けているというすご技の先生です。
そんな先生の一言一言には無駄がなく、本質的な内容ばかりなので、野球選手のみならず、スポーツ選手にとって珠玉の一言ばかりです。
現在、故障に悩んでいる方は今すぐ読んで頂きたい内容ですが、それよりも故障をしていない今だからこそ読んで頂きたいインタビュー記事です。
野球選手であり続けるために、また技術を向上させるためには、ただ黙々と練習すればいいわけではないことを実感できますし、アスリートに関わらず、人間として生きている上で大切なことを学ぶことができます。
(右:小波津祐一氏 左:大竹一彰)
整骨院の専門学校で学べることは「治す」方法ではない
大竹(以下、「大」)-
本日はお忙しい中、お時間を頂きありがとうございます! 小波津先生のような方にインタビューに出て頂けるのはとても光栄です。
まず始めに、現在のようにスポーツ選手に専門特化して治療を行ったり、「治せない」と診断されてしまった選手を現場復帰させ続けている現在のスタイルに行きついた経緯を教えてください!
事前に聞いていた話によると、通常の整骨院として経営されていた頃も超人気整骨院だったとお伺いしています。そんな中で、業界の異端ともいえることを積極的に行ってらっしゃるのもなぜなのか教えていただけませんか。
小波津先生(以下、「小」)-
こちらこそよろしくお願いします。
私は23年前に通常のスタイルの整骨院を開業しました。学生時代には野球をやっていたのですが、その後は専門学校に入学し、資格を取った後、すぐに開業しました。
そこからは、毎日100人の患者様を来る日も来る日も診察し続けていました。
大-
毎日100人ですか! 開業して間もなくそれだけの患者様を診察されていたとは!
そのころから何か特殊なことを行ってらっしゃったのですか?
小-
いえ、その頃はいわゆる皆さんが知るところの整骨院という形でした。診察して電気を流して、マッサージをして・・・といった形です。
大-
そうなんですね! それでも毎日100人もの患者様が来院されるとは、小波津先生の人柄がうかがえます。
しかし同じく経営していた立場からすると、その頃と現在のスタイルはまったく異なると思うのですが、なぜわざわざ安定を捨ててまで、現在のようなスタイルをとるようになったのですか?
そのまま経営されていても優良整骨院と呼ばれていたはずなのに。
小-
単純に、「これじゃ治せない」と感じたからです。専門学校で学ぶことというのは、治す方法ではないじゃないですか?
その方法を続けていても、一向に患者様を治すことはできないし、何より、自分がスポーツに携わってきたので、スポーツ選手の怪我や故障を治したいという思いが強かったからです。
後は、人と違うことをするのが好きだからですかね(笑)
治療家になったのはアイスマンになるためではない
大―
なるほど。それは私もかなり同感です。専門学校はどうしても「治療」という要素を学べる場ではないですもんね。
それに整骨院に来院される方の大半はスポーツ治療ではないことが多いですもんね。経営のスタイルを変えてすぐに人気トレーナーになれたのですか?
小-
いえ、スポーツの治療を特化して行っている整骨院や治療院というのは当時にはほとんどなかったので、まったく患者様は来院されなかったですね。
それに今のようにスポーツトレーナーと呼ばれる人も少なかったため、学ぶ場もとてもすくなかったです。
そうこうしている時に、有名な野球選手の専属トレーナーの施術などを見る機会を幸運にも得ることができました。
しかし、この時、驚愕の思いをしたんですよね。
それは、「え・・・自分がこれでは治らないと思っていた、いわゆる整骨院で行っていることと同じことをここでもしているではないか・・・」ということです。
これでは、有名と言われる先生やトレーナーは、ただ有名な選手の専属トレーナーをやっているから有名なだけなんじゃないか・・・という思いにかられました。
それに、選手側もトレーナーに対して、マッサージャーやアイスマンという認識しかありませんでした。
自分のやりたいことを実現できる場と思って行った場所で、同じ整骨院の仕事をやりたくてわざわざ自分のスタイルを変えたわけではなかったので別の方法を考える必要がありました。
決してマッサージャーやアイスマンになるためにこの仕事を選んだわけではないので(笑)
そこで、その時に決めたことは、「ちゃんと技術で認められた上で、有名な選手から声がかかるトレーナーになろう」ということです。
そこからは二軍などで活動されていた選手などと、日頃のケアや、メンテナンスのサポートを行い、一緒に活躍できるように二人三脚で毎日毎日スポーツ選手の身体と向き合ってきました。
現在のように、数々の選手や全国から治療にわざわざ来院して頂けるようになったところを考えると、少しはスポーツ選手のお役にたてているのではないかと思っています。
「治らない」と言い切らないで欲しい、まだ諦める必要はない
大-
本当にそうですよね。マッサージならマッサージの専門家に行くべきですし、アイシングをするためならわざわざ専門の人というのは必要ないですよね。
一部では、整骨院や治療院に対して、保険のきくマッサージ屋さんという認識があるほどですもんね。
しかし、確かに「治せない」治療家が多いのも現実です。さらにはスポーツになると医療機関ですら「治せない」のが現実ですよね。
そして安易にノースローなどの安静措置をとる。それによって技術やパフォーマンスが如何に低下するか、そして選手の不安をいかに増長させてしまうか、といったことは置き去りにされていますよね。
小-
確かにその通りです。しかし、様々な人の観点があるので、それぞれの仕事を果たせばいいとは思っています。
しかし、私はちゃんと治したい。
その中で、「治らない」というのは辞めてほしいと思っています。せめて「治るのは困難である」ぐらいにとどめておいて欲しいです。
しかもそれが世間一般で権威がある医療機関の方が言ってしまうと、怪我や故障をしたプレイヤーの気持ちはどんどん後ろ向きになっていきます。
実際には、私の所に来られる患者様は「もうどこにいっても治らないんだ」と諦めきった形で来院されているのにもかかわらず現役復帰していくわけです。
手に負えないのは仕方がないことなのでいいとしても、その人の可能性は奪わないで欲しいと思います。
そこを決めるのは本人であるし、本人が納得いくところまでは寄り添って歩んでいく必要があると思います。
松井秀喜選手のワールドシリーズMVPを陰で支えた男
大-
寄り添うという意味では、小波津先生はトップアスリートの方々の専属のトレーナーを行われていますよね。
小波津先生は松井選手の専属トレーナーもやられていましたよね。松井選手といえば膝の故障で悩まれていたと思うのですが、どのような経緯で専属のトレーナーになっていったのですか?
小-
実は、はじめの段階では完全に断られていたんですよね。笑 依頼があったのに断れていました。笑
どういうことかというと、松井選手のお父様から依頼があったのですが、当時の松井選手は膝の故障にとことん悩まされていて、引退まで考えていたそうです。
膝に痛みがあるため、たまった水をぬく処置をしていたのですが、1週間ほどたてば、何もしなくてもまだ水がたまってしまい、痛みがでてプレーできない、という状態でした。
数々の名トレーナーと呼ばれる方にも治療をうけていたようで、もうこれ以上他の人に関わるのを嫌っていたそうです。
しかし、お父様がとても熱心に松井選手を説得されて、治療をすることになりました。
ニューヨークに渡ってホテルにいる時ですら、まだ治療を行うのか分からない・・・というぐらいギリギリまで治療される気がなかったですね。笑
大―
それだけ「治らない」と言われていたんでしょうね。私も「治らない」と言われて来院される患者様はいつも本人が一番治らないと思っているケースが多いです。
小-
私はそれで構わないと思うんですよね。 散々有名と言われた方々にみてもらった上できてもらいたいです。
むしろそちらの方が燃えるので。笑 そして私のところにきて「治らない」と言われた怪我や故障を「治す」ことに私の仕事の意味があると思っています。
大―
分かります! 「治らない」と言われたものを治してこそ、トレーナーであり、治療家の目指すべきところですよね。
やはりマッサージャーやアイスマンで終わってはいけない。
そういえば、松井選手とはいつからトレーナーをされていたんですか?
小-
初めて、単発的にポイントポイントで見るようになったのは2008年ですね。その翌年には専属のトレーナーになり、それまで複数のトレーナーさんを雇われていたのですが、私一人になりましたね。
大―
え、それって松井選手は2009年にワールドシリーズのMVPのタイトルを取られたんではなかったですっけ?
小―
そうですね。私が関わらせていただくようになった翌年にタイトルをとられていましたね。私もすごく嬉しかったことを覚えています。
大―
ええええええええええええええええええええ! それって小波津先生がいなければ、日本人初のタイトルもなかったということじゃないですか!
小―
いえいえ。私はあくまでベストな状態にもっていけるようにサポートしただけで、プレーをしたのは選手本人の力なので。しかし、そこに少しでも携わらせていただいたことは非常に感謝しています。
あー私はこのために、治療家として活動しているんだな、と改めて実感できる時でした。
「治らない」と言われる故障や怪我を選手とともにケア・メンテナンスし、プレーのパフォーマンスを最大限に発揮できるようにすること。
そのためにはまだまだ勉強することでいっぱいです。
身体のケアやメンテナンスを考えれば、日本のアスリート業界が変わる
大-
す、すごすぎですよ、小波津先生。 まさに、ただの有名なトレーナーとは違い、治療技術をもって、スーパーアスリートのパフォーマンス向上にまで携わるなんて。
小波津先生のような人がたくさん増えていけば、業界は絶対かわりますね。
小-
はい、まさしくそう思います! 治療家、トレーナーが技術を高めれば、野球に関わらず、日本のアスリートのパフォーマンスは必ず上昇します。
それぐらい、治療家やトレーナーとは重要なポジションを担っているはずです。
今、高校ハンドボール全国3連覇を果たしたチームのトレーナーをやらせて頂いていてとくに感じます。
ハンドボールと言えば、怪我・故障のオンパレードのスポーツで、試合中に立つこともできなくなる選手が現れます。
そんな選手をコートサイドで治療して、何もなかったかのように試合に戻す。数分、数秒の戦いをするスポーツにおいて、このスピード感はとても重要なことです。
すこし不謹慎ではありますが、治療家、トレーナーとして一番燃える場面です。
数秒、数分で治して、コートに戻る時の周囲の反応をみていると嬉しくなります。笑
大―
おおおお。 確かに、ハンドボールは一番トレーナーの力をアピールしやすい場ですよね。笑
しかし、その状況に燃えるとは・・・・なかなかの変態ですね。笑 闘い続ける男とはこういう人のことを言うのでしょうね。
最後に、小波津先生が今後行っていくことを教えてください。
小-
今は、トレーナーや治療家が任される範囲が狭いのは確かなので、それがもっと任されるような業界にしていきたいですね。
そして、それは、トレーナー側の技術と意識を高める必要もあり、依頼する側も知識を高める必要があります。
後は、「治らない」と言われて「治らないまま」の方がまだまだたくさんいらっしゃるのに、私はあくまで一人なので、自分の技術をなるべく多くの治療家やトレーナーに伝えられたらな、と思います。
そうすれば、徐々に業界もかわっていくのではないかな、と。
そして私個人としては、これからも「治らない」と言われる怪我や故障に出会っていきたいですね。笑
大―
小波津先生の技術であれば間違いなく、広めていけるでしょうね。
私も現在トレーナー活動をつづけながら、「takebat.com」、「野球肩革命所」といったメディアを運営することで、自分のように故障が原因で引退しなければならない人を可能な限り減らしていきたいと考えています。
おっしゃるように、トレーナーや治療家側の技術力アップも必要だし、選手側としてもケアやメンテナンスといった知識を学ぶ必要があります。
これからもどんどん情報を発信してまいりたいと考えているので、微力ながらも小波津先生のような方の力になっていきたいと思っています!
小-
はい、一緒にがんばっていきましょう♪
さいごに
小波津先生は、終始謙虚な方でした。松井選手に至っては、MVPのタイトルを取得する前だったなんて・・・。
そこまでの技術をもっているのに、未だに最前線で治療技術を高めながら、様々な「治せない」を治し続けているなんて頭があがりません。
小波津先生は現在は大阪・奈良にて、整骨院を開業されながら、各地でトレーナー活動を続けられています。
関西圏の方は間違いなく小波津先生まで連絡をすることをおススメいたします。東京でも定期的に治療を行われているようなので、下記より連絡をしてみてください。
小波津先生のような方がどんどん増えていけば、本当に野球界だけではなく、スポーツ界全体のパフォーマンスが向上するだろうと、本気で思える一日でした♪
整骨院詳細
院名:小波津整骨院
住所:(岸和田本院)大阪府岸和田市沼町31-12
(奈良西大寺分院)奈良市佐紀町47-1-305
TEL:(岸和田本院)072-423-6660
(奈良西大寺分院)0742-87-2153
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