野球選手よ、受け身になるな!/元千葉ロッテ正捕手の橋本将氏インタビュー

野球選手よ、受け身になるな!/元千葉ロッテ正捕手の橋本将氏インタビュー

さて、本日は大人気のADLIFE INTERVIEW FILEに大物が登場しました。

それは

プロ野球生活18年間という元キャッチャーの橋本将(たすく)氏

です。 

プロ野球を18年間続けられるような選手は極わずかで、並外れた体力と技術がなければなし得ないことです。

そんな貴重な18年間のプロ生活を通じて、現在の夢見る野球選手達にアドバイス頂きたいと思っていた所、今回のインタビューが実現しました。

なんと、現在は引退後に株式会社33(サーティースリー)を立ち上げており、多くの野球選手が引退後にひどい生活を送ってしまう傾向にある中、さらなる夢に向かって突き進んでらっしゃいます(『野球選手の大半は社会に適応できない選手ばかり』)。

野球人としての生き方を知る上で橋本選手の右に出るものは、ほとんどいないでしょう。

野球選手として、野球選手を引退した人として何を心がけていけばいいのか学びとりましょう!

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【語り手】
◆橋本将(元千葉ロッテ/捕手)
【聞き手】
◆大竹一彰(株式会社ADLIFE)
【場所】
◆千葉県浦安市

プロ野球選手になるならキャッチャーが最も近道だと感じた

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-野球を始めたきっかけと、当時のポジションを教えてください。

野球を始めたのは、父の影響で・・・いや、生まれた時からですね(笑)

生まれた時から野球が目の前にあり、それしかなかったという感じですね。

父親も社会人野球選手として活動していたものの、プロ野球の世界は未知の世界だったため、息子である私に夢を託していたというのもあります。

ようは気付いた時にはやっていたし、野球をやっていない生活は考えられませんでした。

本格的に始めたのは、小学校4年生の時です。

5年生からはキャッチャーになりました。

その後、小学6年生からはボーイスリーグに入団し、キャッチャーをメインで外野手や投手も経験しました。

それからは大半をキャッチャーとして過ごし、高校では宇和島東高校に進学しました。

-宇和島東高校と言えば超名門校ですね。私も橋本さんのことは「輝け甲子園の星」や「報知高校野球」でたくさん拝見していました。どのようなスタンスで高校生活を送られていたのですか。

高校時代からプロ野球を常に意識していました。

そのため、最もプロに行きやすいのが「捕手」と考えていたため、入部当時から監督に捕手を志願していました。

高校時代は周囲の選手に恵まれたので、2年生の春夏、3年生の春夏と合計4回の甲子園を経験することができました。

-甲子園に合計4回とはなかなかいけるものではないですね。高校通算も40本塁打を記録された活躍は鮮明に記憶しています。そして、いよいよ18年間というプロ生活を迎えるわけですが、長期間プロ生活を送れた秘訣は何なのでしょうか。故障とかはなかったのでしょうか。

捕手というポジションだったこともあって、ホームでのクロスプレーで両膝を痛めることが多かったですね。

さらに他のポジションにはない「立つ」、「座る」を繰り返すことが多かったため、腰は常に痛かったです。

野球肩も経験しました。

「膝」、「腰」、「肩」の全てで手術を経験して、なんとか18年間(千葉:15年 横浜:2年 独立リーグ:1年)現役生活を送れました。

18年間プロ生活を過ごせたのは、怪我をきっかけに人間の身体の構造を学び、トレーニング方法やケア方法を適宜学んでいくことができたからでしょうね。

野球選手はプロになっても身体のことを勉強したがらない人はいるので、身体が資本の野球選手なんだから身体のことを勉強をするのは当たり前のことですよね。

その勉強の時期が早ければ早いほどいいことは言うまでもありません。

プロ野球界は視野が狭い

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-橋本さんが感じたプロ野球界とはどんなところだったのでしょうか。入団前、現役中、引退後でそれぞれ異なると思いますがそれぞれ教えてください。

入団前には、スターが集まる華やかな世界という印象があり、その一員になれることに喜びを覚えていました。

そして何となく自分もすぐ一軍に加わり活躍できるものと信じ切っていました。

ところが、いざ入団してみると、一軍選手のレベルの高さにカルチャーショックを受けてしまいました。

本当に焦ったことを覚えています。

当然と言えば当然のことで、プロ野球界は大半が高校時代に大活躍した上で職業野球になってまで野球を続けられている人です。

このままでは生き残っていけないと思ったので、バッティングを含めた捕手としての練習を意識し続けました。

そして引退して一歩引いた状態でプロ野球を見てみると、また違った印象を受けています。

それは、

野球界はとても狭い世界で物事を考え行動している

という印象です。

現在は仕事の都合上、様々な分野の方々に触れ合う機会が多く、色々な勉強をさせて頂くなかで、広い視野をもって生きています。

現役時代に今のような世界観があったら、より良い野球生活を送れていただろうと考えることがあります。

そのため、これからの野球選手達には広い世界観で野球に取り組んでほしいと思っています。

今ではある程度ビジネス面で成功できたおかげでボランティアでの野球指導と言う形で野球に携わっていけています。

これは今後の選手に対すして期待していることなんですが、もっと個性的な捕手が出てきてもらいたいと思っています。

例えば、ライオンズの森選手のような選手です。

彼が捕手としてもっと成功すれば球界を引っ張るような選手になっていくでしょうね。

時代の流れに沿って受け身にならず挑戦していくことが大切

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-引退後に悲惨な生活を送りがちな野球選手の中で、橋本さんのように引退後も会社経営を行い成功を治める秘訣を教えてください。

確かに、野球選手の多くは引退後に社会に馴染むのに苦労してしまう選手は多いですね。

日本では野球選手の年金や保険の制度なんかもしっかり整っていないことが多いのです。

その原因の1つとして

私自身も含めて、プロ野球界はとにかく閉鎖的な考え方を持っていること

です。

今の自分を守りたいことに必死で、外部をまったく寄せ付けないというようなイメージです。

さらに、野球選手は周りが何でもやってくれるため社会に出ても、どうしても自分でやることをしなくなってしまいます。

そのため、プロ野球を引退した人は社会にうまく馴染めないのではないかと思います。

しかし私は、様々なことに好奇心旺盛な妻のおかげで、

「時代の流れに沿っていこう、苦手な情報溢れる社会だけれど、突き進んでいこう」

と自分を変えられたことが引退後の人生に大きかったですね。

現役時代と比べればまったくの真逆の行動です。

現役時代は「迷ったら行動しない」という考え方だったのに対し、引退後は「迷ったら行動する」に変わりました。

「はじめの一歩」を踏み出す勇気が生まれたことが現役時代との大きな違いでしょうね。

現役時代は捕手として投手の球を受けるのが仕事だったので「受け身」になってしまったんですかね(笑)

とにかく、野球選手であれ、社会人であれ「受け身にならないこと」が大切ですね。

現役時代にはスマホを絶対に持たないと公言していたのに、今はスマホを持っちゃってるぐらいなので(笑)

-最後に、これからのプロ野球選手を目指す野球少年たちにアドバイスをください。

しっかりと夢を持って生きて欲しいですね。

最近は夢を持たない子どもが増えてきていると聞きます。

夢がなければ何も前に進むことはできません。

そして周りの仲間達を大切にしてください。

野球は団体スポーツなので仲間がたくさんできます。

プロ野球選手を目指した所で、プロになれるようや選手は極一部です。

プロ野球選手になれなかったからと言って人生の終わりではありません。

そんな時に大切さを身に染みて分かるのが、仲間の存在です。

野球を通して育んできた仲間達が心の支えになってくれます。

そしてこれは選手というより、指導者や親といった大人に伝えたいことなのですが、

我々大人が子どもたちに夢を抱ける環境づくり、夢を持ち続ける背中を見せてあげなければいけない

と考えています。

大人の務めはこれ以外にはないのではないでしょうか。

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さいごに

橋本選手は私の2歳年上の方なので高校時代や現役時代のことを鮮明に覚えています。

そのため、今回のようなインタビューは恐れ多かったのですが、橋本選手の巧みなリードのおかげで(笑)非常に有益なインタビューとなりました。

プロ野球選手として18年間も活躍した後に、これほどまで社会に適合し大成功を治めている方はなかなかいらっしゃいません。

多くの方がビジネスに失敗するか、ゴルフ三昧の生活を送っています。

橋本さんが大成功を治めている大きな要因はインタビューの最中に現れていました。

それは、私からインタビューを申し入れたのにも関わらず、様々な配慮をもって当日を迎え入れてくださいました。

こんな気配りのできる野球人が増えていけば、野球界も大きく良い方向へと向かっていくだろうなと考えています。

メインには構成の兼ね合い上掲載できませんでしたが、橋本さんが危惧していることがもう2つありました。

1つめは野球選手の喫煙率の高さです。

自己責任とは言え、トップアスリートが喫煙してしまっている現状はいかがなるものかと不安を覚えるそうです。

2つめは、オリンピックはアマチュアの最高峰としてアマチュアにチャンスを残しておくべきだということです。

1992年と1996年の日本代表選手は規格外の選手ばかりであったことに、談義が盛り上がりました。

ほとんどがその後にプロとして活躍しているような選手ばかりです。

私が所属していた三菱ふそうも代表選手が3人いて、経験者も含めれば10人ぐらいはいたのではないでしょうか。

当然ながら私が活躍できる場は残されているわけもありませんでした(笑)

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