野球の練習は修行ではない
野球の練習風景を見ていると、他のスポーツの方から「軍隊のようだ」とよく言われることがあります。
甲子園での開会式の行進がもっとも分かりやすいかもしれません。
近年は徐々に緩くなっているものの、手を肩の高さまで上げ、膝は腰の位置まで上げ、さらには全員の足並みがピタッと揃える行進をします。
ちなみに私も甲子園の出場が決まった時、行進の練習を毎日していました。笑
何かをきちっとやるというような姿勢はとても見ていて清々しいとは思いますが、その姿勢が弊害をもたらしていることも理解しなければなりません。
伝統を守ることも大切ですが、純粋に野球技術の向上を追及しなければならない時代が来ているのではないかと思います。
簡単に言ってしまえば、伝統に固執する姿勢が、「言ったことを守ることができない後輩」、「常識からはみ出た後輩」に何らかの制裁となって現れます。
「出る杭は打たれる」といったヒガミというよりは、野球界の全体が「縦社会」という一定のルールの中で行われているため、出る杭を打っている感覚すらないでしょう。
「練習中」だけでなく、挨拶の声の大きさ、返事の声の大きさは、一般的には考えられないような数や大きさを求められます。
また、野球の練習時間は非常に長いことでも有名です。
10時間以上おこなっていることもザラにあります。
通常の人間の限界を軽く超えています。
一般的な限界を超えた状態でずっと行う練習は、一種の修行と捉えられても不思議ではありません。