日本人の野球選手にかけているもの
最近ではあらゆる分野で国際化が進み、野球界でもメジャーリーグへの進出が一般化してきました。
そんな時には必ずといって「日本人」と「海外」で比較されることが多くなります。
そして決まって「日本人に欠けているもの」という視点で批判されることが多くなります。
しかし、気をつけなければいけないことは、その欠けている部分というのは視点を変えれば日本人として誇ることができる部分でもあるということです。
つまり、
海外から見た日本人の視点だけが全てではなく、時と場合によって臨機応変に変化させる考え方が大切である
ということです。
本日の記事では、「日本人に欠けているもの」でどうしても時代の変化を考えれば「欠けている」と言わざるを得ないことをお伝えしたいと思います。
ただし、冒頭で述べた視点も必ずもった上でご覧になってください。
これは、世界一のサッカープレーヤーだと私が思っている中田選手のエピソードです。
以下抜粋です。
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中田の中学時代の有名なエピソードに次のようなものがある。
当時、甲府北中のコーチをしていた皆川新一は、試合に負けた生徒たちに罰走として50本のダッシュを命じた。
子供たちは不承不承ながら当然のことのように罰を受けたのですが、ヒデだけはベンチの脇に立って走ろうとしないのです。
怪訝に思った私は、
「どうして走らんのだ!」と語気を荒げたのです。
ヒデの答えはこうでした。
「走る理由がわからない。俺たちだけが走らなければならないのは納得できない。皆川さんも一緒に走ってくれ。だったら俺も走る。」
ヒデ少年は、ある意味では問題児だったと言えるかもしれません。
中二事件の時、私が、ふざけたことを言うなと殴りつけていたら、果たして中田英寿という個性は、世界に羽ばたくことができたでしょうか。
そう思うと、私は時々ぞっとすることがあるのです。
ドイツの子供たちは、試合前のミーティングで、コーチの指示に対して必ず説明を求めてきます。
「なぜこのシステムで戦うのか」 「なぜこの戦術をとるのか」。
それに対してコーチは、システムや戦術の意図をきちんと説明します。
そうやって納得させないと、ドイツの子どもたち(ヨーロッパの他の国の子供たちもそうなのでしょうが)は動かないのです。
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さて、このエピソードを聞いて何を感じたでしょうか。
問題はこのエピソードが良いか悪いかということではありません。
中田選手には何が必要であり、不要な事であるかはっきりしていました。
負けたから走る→走り込みたくないから勝つ確率が高くなる
というロジックはどこにも存在していないことを見抜いています。
負けた時に必要なのは罰ゲームのような走り込みをすることではないはずです。
しかし、中田選手のような感覚は教えてできるものではありません。
幼少からの生活習慣や環境に多くを依存してしまいます。
野球界は環境的に縦社会がはっきりしている分野のスポーツなので、中田選手のような発想の選手は誕生しにくいように感じます。
私が現役時代も、罰ゲームのように負けた時、失敗した時、走らされたという経験があります。
しかし振り返ってみて感じることは、その罰ゲームが次の勝利につながる要因になったとは到底思えません。
同じ経験をした人は野球人であれば数多くいらっしゃるはずです。
しかし、そんな人間が指導者の立場になると同じことを繰り返します。
「これが野球の伝統だ」
と繰り返しながら。
しかし、そんな時には思い出してほしいことがあります。
それは
あなたは何のために野球をやっているのか
ということです。
誤解を恐れずに言えば、野球はあくまでスポーツです。
人生や生死がかかっているわけではありません。
そんなスポーツの中で修行のようなことをする必要はありません。
日本人の野球選手には、
純粋に上達するように野球を楽しむこと
という視点が欠け落ちています。
野球の上達に関係ないことなんて行う必要はありません。
野球選手はもっと自己主張していいはずです。
「いい子」でいる必要はありません。
監督はあなたの一生に責任はとってくれませんよ。