置きティーバッティングに意味はない
野球選手が、ホームベースの上にポールが立ち、その上にボールを置いて、打つ練習があります。
「takebat.com」のLINEアカウントに来た質問でこんなものがありました。
それは
置きティーバッティングに意味はあるんですか?
というものです。
あなたは、置きティーバッティングの意味って考えたことってありますか?
はっきり言って、私もありませんでした。
というか、考える必要もないぐらい意味がありません。
消去法的に考えて、置きティーバッティングに意味がない理由を説明していきます。
置きティーバッティングに意味がない理由
置いたボールを打って走る試合があれば話は別になってきますが、そんな試合はありえません。
また、小学校低学年でストライクが入らない投手しかいないチームのシート打撃練習に使われていることは見かけたことがありますが、それでもあまり意味が見出せません。
投手が投げるボールは、前から来ます。
この時に脳は、「時間感覚」と「遠近感」によって「速度の判断」、「高低の判断」、「色の判断」などの処理をしています。
そして、反射的にバットを出したり、止めたりします。(別の話題になりますが、打者というのは意外と打つ瞬間はみていません)
これだけを考えても、「止まったボール」を打つ練習に何の意味も見出すことはできません。
百歩譲って、投手がいるとフォームが崩される恐れがあることから、自分のフォームを形創るための練習とも考えられます。
しかし、フォームを作りも素振りで十分ですし、そもそも投手が投げるボールに対してどうするかが、試合で求められることです。
上記の点を考えても、「置きティーバッティングにはメリットはない」と結論付けられます。
決して辞めろとまでは言わないものの、ボールを打っているという気分転換ぐらいにしかなっていないと自覚した方がいいでしょうね。
ただ、脳は多大な数の情報を一瞬で処理しており、ありとあらゆる情報を記憶し、取捨選択しています。
できる限り試合にリアルな状態で練習したほうが脳としても迷うことなく働くと思ってくださいね。
置きティーバッティングする時間があるなら、人間の身体について学んでいた方がよっぽどましとは思いますが。